金沢に近い石川県宝達志水町にある国重要文化財1971年指定の住宅。明治村の館長 中川武先生(早稲田大学名誉教授)が最も立派な民家としてお話いただいた住宅です。
喜多家は豪農で、年貢を集めたりする役所的な働きもしていました。そのため住宅には農民である住人用のスペースと武士が来て、調査などをする場所が区分けされています。また前田家の参勤交代時の陣屋としての機能もあり、一般的な住宅とは異なった構成になっています。
一番の特徴は、建物が周囲より、1.5mほど低く掘り下げたところに建っていることです。説明によると外様大名であった前田家の陣屋として、目立たないようにしたためだそうです。周辺に木々を配し、敷地の奥まで入らないと建物の大きさはわかりません。
アプローチは平地なのどんどん下がっていく違和感があります。説明をしてくださったのは喜多家の方だったようですが、現代の観光資源としては、マイナスと考えておられるようでした。
窪地にある建物として、水が溜まると心配されますが、ここは海岸を車で走れる千里浜なぎさドライブウェイのすぐ近くで地面は相当な砂地で水が溜まることはないようです。
玄関は使用人用、農民用、武士用、殿様用に4つあります。殿様用が一番手前に突き出ていて、位が下がるに従って後退しています。写真は奥から殿様用。
農民のゾーン。役所的な仕事をしていた部屋、天井があってあるのは、ある程度の地位を認められたので許されているとこのと。食堂は板の間。寝室などは奥の別棟的なところにある。
役人武士のゾーン。一段高くなって、空間的な区切りを持つ。
武士が農民からの話を聴取した部屋、外の農民と格子隔てて面談。格子は内開きの断面形状で外から中の武士の顔が見えにくく作られています。武士と面と向かわないことで包み隠さず、意見が言えるようになっているそうです。
殿様ゾーン。陣屋(宿泊所)となっています。
一間幅の縁側廊下は敵に槍で襲われた際も届かないようになっています。立派にみえないようにという配慮で部屋は小さいです。
殿様の寝室。柱は漆塗りで上質感と共に耐久性を増す意図です。
その裏には警護の侍が隠れていた小部屋があります。昼間は茶室として使われるようです。気持ちが柔らくようにと壁は緑色です。もともとは殿様の寝室とドンデン返しの扉で繋がっていましたが、明治以降必要なくなり、壁になっています。文化財指定で現状維持が強いられ、復旧できないのが残念とおっしゃっていました。
庭は、砂地のため水が溜まらず、枯山水の景色となっています。池に見立てた石の手水があります。現状背後の木々が伸び放題のようで、庭として景色は今一つのように思われます。保存対象となっているところの庭木の手入れ(剪定)をいかにしていくかは、それぞれ守るべき観点があって難しいところがあると思います。
中川先生、一押しの古民家でいろいろ興味深いところがありましたが、去年見た兵庫県たつの市の永富家のほうが、使っている木材などが他でみたことないような、大きな材だったりし立派さは上のように思えました。永富家は、いまだ当主さんが茶会などで使っていて、その設えとかもセンス良くやられていたので、品よくみえるところがあらのでしょう。