八武組 設計ブログ

ハッタケグミ:三重県四日市市の建設会社 設計メモです

2016年第1回みえ木造塾

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先週6月11日土曜日、みえ木造塾の講義に参加しました。木造を知るための有志の集まりで今年で13年目になるそうです。毎回講師を迎え、木造に関わるお話を伺ったり、実験したりしています。今回の講師は竹中大工道具館 赤尾館長さんです。

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新神戸駅に移転した竹中大工道具館の紹介から始まり、収蔵品の写真や所蔵の動画による縄文から現在に至る大工作業の変遷を講義されました。

この大工道具館は竹中工務店元会長の錬一氏が手道具が機械道具にかわっていく現況に憂慮して作られたそうです。世界中の道具3万点を所蔵し、使用可能な状態で千点を展示しているとのことです。

消滅しつつある手作業や伝統技術の良いところを記録した動画で、参加者一同、技術の継承することの意味深さを共感したように思います。このような講義で初めてわかる手作業の長所は、一般の人だけでなく建築に関わる人でも、説明されないと見いだせないようになっていると思います。

手間のかかっているものは確かにいいものなのですが、普通の人のこだわりの中で実現できる建築を超えて、芸術品のような存在になっては、本来の建築ではなくなってしまうように思えます。昔の手作業の良さは、現代のニーズからは、はずれてしまい無くなっていくのも当然の流れといえるのかもしれません。(個人的にはとても残念)。

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本居宣長記念館と旧邸

三重県史上、最も功績の高い人物であろう本居宣長の記念館。松阪城址のなかに1970年に建てられた日本で最初の文学館です。

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存在は知っていましたが機会が作れなかったのですが、記念館吉田館長に、記念館改装のため6月末で休館となると伺ったので、機を逃さないように行ってきました。歴史も文学にも疎いほうなので本居宣長の功績はあまり認識していなかったのですが、吉田館長の熱の入ったお話を聞いてからの来訪で、展示の内容もかなり興味をもって見られました。古事記伝の原書や印刷の版木の実物ほか、本居宣長の研究の記録が国指定の文化財として多数所蔵されています。

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私は、研究活動(どの分野も)は明治以降に始まったイメージだったのですが、記念館の資料を見ると江戸時代から今と変わらないような、研究がなされていたと思えます。

本居宣長は、師である賀茂真淵の考えを覆す見解を出すこともあったそうで、客観性のある研究をしていたように思えました。医者を職業としていたこともそう思わせます。

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記念館に隣接して本居宣長の旧邸があります。明治42年に周辺の火災からの保護と公開の利便性のために市中から移築されたものです。

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城址公園内で周りの雰囲気は、本来と異なりますが、中に入ると町屋の雰囲気が実感できます。通り面する障子を閉めた状態だと家の中はかなり暗いです。街中の家はかなり暗いなかでの生活だったのではないでしょうか。台所部分は天窓があって外のように明るく、炊事には明るさが保たれるようです。

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診療をしていた通り側の「店の間」。この部屋だけ、墨色の壁です。診療のためでしょうか。ほの暗さと暗い色の壁で、壁の存在は少し薄れて、広がりを感じるかも。

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本居宣長53歳の時に、念願の勉強部屋が屋根裏に作られました。広さは4畳半で天井高さも2.1m(入室禁止なので天井高さは建具の高さから類推です)くらいの小さな部屋です。急な階段の窮屈なところを抜けて出入りします。年老いてからも行き来していたそうです。

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外から覗くことはできます。窓からは松坂城が望めたそうです。

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ちょっとレトロ設定のTVドラマにもよく出てくるこんな屋根裏部屋のある家を作ってみたいと思ってます。

本物の資料と活動の場が実感できることが、松阪の子供たちが、自分の身近でも全国に影響を与える人物がいたことを知り、将来の夢が広がることにとても役立っていると吉田館長はおっしゃっていました。

また旧邸が本来の市中にあるともっと意義深いが、火災などから守る上、難しく悩ましい問題だとも。

岐阜の建物

建築家協会の見学会・講演会が開かれ、注目されている岐阜市立みんなの森メディアコスモスを見てきました。設計は世界でも著名な伊東豊雄さんです。

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県産のスギ材を使った曲面の大きな天井の下に、図書館を中心とした施設(ホール・ギャラー・イベントスペース・会議室など)が配置されています。図書館の閲覧部は1フロア1室空間で、トップライトのある半透過の傘の下の空間が特異点として、空間にアクセントをもたせています。

使われている建材は、それぞれ素材感を活かした使い方で、全体の質感を保ち、素材の使い分けによる機能(部屋)の差異をさりげなく表しています。日本を代表する実績ある建築家の作だけあって、それぞれの納まりもきちんとしていて、世界レベルの建物と思います。コンクリートやガラス、鉄などの材料がカバーされず表しになっていて、その素材の強さを感じる欧州建物にある魅力を持っています(日本の多くの建てものは綺麗にカバーされて迫力にかける気がします)。

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事務スペースはオープン。市民活用の機能をもった部屋が大きな空間のなかに囲まれた存在としてあります。

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外部にも、杉材の線材の意匠が施されていますが、それほど時間を経ていないのに少し劣化感が出ています。雨かかり部分の木の使用のデメリットを考えるとこの杉はなくてもよいように思えます。

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四角の外形を抉る形でテラスがいくつかあります。どのテラスも人が出ています。内部は広々しているのですが、嵌め殺しのガラスが大半なので、自然の空気を感じることができないので、テラスに人が出てくるのかもしれません(図書館のなかで話しにくいこともあるのでしょうが)。

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家具も素材そのままの風合いを重視。コンクリートと再生木で構成された本棚。

ついでに隣りの北方町に少し前にできた集合住宅の様子も見てきました。

ハイタウン北方:2002年・妹島知世 高橋晶子 クリスティー・ホーリィ エリザベス・ディラー マーサー・シュワルツ 女性建築家のみ1団地計画。プロデュースは磯崎新でした。話題性は十分の企画です。

天気もわるくて、ちょっとさびしい感がありました。

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妹島棟:各住戸にテラスがあります。バルコニーはなく、都会的な外観になります。

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空室率10%程度

ディラー棟:メゾネットタイプの住戸の集合

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フライングコリドール(部屋から離れた共用廊下)も採用され、共用廊下側も個室のプライバシーが守られます。

空室率40%くらい。南側窓が小さいのは日本人(特に地方)には嫌われるかも。人気ないのが理解できる。

高橋棟:住戸内は昔の民家のような田の字プランで開放すると1室になり自由度高い。

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空室率5%くらい。一般的な集合住宅にちかいからか?

ホーリィ棟:引き戸による間仕切りで、住み手のアレンジが可能。

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空室率10%程度。派手な外装パンチングメタルがなければ、もっと人気でそう。

R状の住戸配置で玄関は廊下から少し入り込んだ形になっている。よりよく住む工夫がありそう。

全体として、ちょっと空室が多いような感はありますが、魅力は十分。都会にあれば十分評価されそうです。

その隣接の北ブロックはより普通なのが建ってます。一様フライングコリドール。特別感薄い。

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以前見に行った各務原伊東豊雄さんの葬祭場「瞑想の森」もよくできた建物でした。古くは、坂倉準三の羽島市庁舎や岐阜県文化会館など岐阜県には、いろいろ建築家の建物があります。三重はかなり負けてます。

 

諸戸徳成邸 特別公開

六華苑、諸戸氏庭園で知られる桑名市の諸戸家の2代目清六氏が永く住まわれていた邸宅です。桑名駅の西側の丘の上に大正末期から昭和初期に作られました。9つの棟からなっているとようです。今は住み手がなく、きちんとしたメンテナンスが維持されていない状態です。

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↑チラシの抜粋

市民活動の諸戸徳成邸を考える会が、公開を運営されているようです。1000人以上の方が来られたそうです。

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建物の中も見学できました。通常の2倍くらいの格天井の板材、長い長押や縁甲板など使われている木材は、さすがに立派です。

庭の木々も手入れが行き届いてなくて、うっそうとしています。本来はもっと明るい庭だったと思います。

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やはり茅葺屋根の部分は、維持が困難で離れと茶室の痛みは著しいものです。

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この徳成邸のすぐ前に、諸戸家が造り、市に寄贈した諸戸水道施設(県文化財指定)あります。海側の六華苑、諸戸氏庭園とともに、一連の施設が揃って残っていることが、桑名市の歴史文化の継承には重要と思われます。市議会から移管拒否され、存続が危ぶまれているそうですが是非残してほしいと思います。

松阪市は、いくつかの私邸を市が管理し、地元に由来のある方が、どれほど日本全国に影響を与えてきたかを伝えています。古い民家は、本来の木造住宅の良さ(技術や物の質感)を伝える貴重な資料でもあります。

益子焼きの街

先週の地元四日市萬古まつりでしたが、今週は関東で最も有名な焼き物の街、栃木県益子に行きました。

ゴールデンウィークには。益子焼き陶器市が開けれてかなり集客していたようでしたが

平時も人がコンスタントに来られているようです。

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メインの通りに面し、販売店や食事処が並びます。昔ながらの店舗や都会的な感じの雑貨店を兼ねた店、窯のあるところ、大手の陶器屋さんの土産物のお菓子までそろえた大きな店舗などがあります。

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通りの奥には共販センター、テント販売があって焼き物の産地感があります。

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備前焼や有田焼きのような、伝統的な益子焼というわかりやすスタイルは見て取れません。聞いてみると、アメ釉でベース茶色で、緑白の釉のタレがあるのが、伝統的な様式だそうです。今の需要は白っぽいものにあるようで、淡い色に白い釉のものが多いです。

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450社ほどあるとのことですが、伝統的なもの作っているのは数社だそうです。今は土も各地から入手できるので、それぞれ違った作風を競っているのだそうです。地元独自の特徴を活かして、全体として益子焼の魅力をアピールする方向性が地場産業の継続には有効と思えますが、どうなのでしょうか?

真壁町 再訪

 

茨城県真壁町は北関東の内陸街。江戸時代、交通の要所として栄え、立派な民家が残ることで有名です。前回訪れたのは2012年11月で震災後、数多く(大半の)古民家の損壊が見られていました。今回、大部分の復旧が出来ていると聞いて再訪しました。

震災被害の多くは屋根瓦の落下と土壁の崩壊でした。

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2012年

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2016年 土壁と瓦の復旧 かなり傷んでいたのを大修繕f:id:hatt88:20160524000416j:plain

2012年

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2016年 震災前より、以前に戻った感じまで修繕

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2012年

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2016年

登録有形文化財の碑が震災前から建てられています。これらの建物ほとんどが修繕されたようです。国、県、市と国際的な文化財保護基金などを使い、9割くらいの補助が出るようなことを聞きました。

なかには復旧できなかったもののあります。

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この名家の土蔵はなくなってしまいました。

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指定のない建物は修繕しきれていないところも。

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街の中心部にある酒蔵

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2012年

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2016年こちらは、ほぼ変化なし。もう使われていない蔵のようです。

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2012年、震災被害が少なかった建物

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2016年修繕なく、なぜか緑で覆われた状態に。魅力的ですが、このままでは存続が難しそうです。

真壁の古民家は戸数としては、かなりあるのですが、町並みとして残っているという感じではないので、街の魅力としては弱いです。

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現代の真壁で有名なのは、石材です。肌理の細かい花崗岩「真壁石」は墓石・灯篭などに使われる貴重な石ですが、これらの需要も減ってきているように思えます。街に人が残るのは難しい印象です。

そんななか、東京から移住してうどん屋さんをやっているところがありました。

地元の大地主さんが、所有の元製糸工場を貸されているそうです。うどん屋さんは、東京国立から店を移して、余生のんびり暮らすつもりだそうです。

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向って右側をうどん店として利用。建具などを手直しして、震災前より昔の形に戻してます。左側は住まい利用です。この建物も文化財登録されています

 

 

萬古まつりです

明日5月14日.15日は四日市萬古まつりです

地場産業 萬古焼き業者の集まる近鉄川原町駅至近の萬古神社の周辺で行われます。

やきものの製造者、問屋さんなどが露店を出して即売会を催します。普段より2割くらいは安いようです。食べ物などの露店もでますので、子供たちにも人気のお祭りです。

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弊社も例年、設営に協力しています。皆様のご来場お待ちします。

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www.hattake.co.jp