八武組 設計ブログ

ハッタケグミ:三重県四日市市の建設会社 設計メモです

本居宣長記念館と旧邸

三重県史上、最も功績の高い人物であろう本居宣長の記念館。松阪城址のなかに1970年に建てられた日本で最初の文学館です。

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存在は知っていましたが機会が作れなかったのですが、記念館吉田館長に、記念館改装のため6月末で休館となると伺ったので、機を逃さないように行ってきました。歴史も文学にも疎いほうなので本居宣長の功績はあまり認識していなかったのですが、吉田館長の熱の入ったお話を聞いてからの来訪で、展示の内容もかなり興味をもって見られました。古事記伝の原書や印刷の版木の実物ほか、本居宣長の研究の記録が国指定の文化財として多数所蔵されています。

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私は、研究活動(どの分野も)は明治以降に始まったイメージだったのですが、記念館の資料を見ると江戸時代から今と変わらないような、研究がなされていたと思えます。

本居宣長は、師である賀茂真淵の考えを覆す見解を出すこともあったそうで、客観性のある研究をしていたように思えました。医者を職業としていたこともそう思わせます。

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記念館に隣接して本居宣長の旧邸があります。明治42年に周辺の火災からの保護と公開の利便性のために市中から移築されたものです。

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城址公園内で周りの雰囲気は、本来と異なりますが、中に入ると町屋の雰囲気が実感できます。通り面する障子を閉めた状態だと家の中はかなり暗いです。街中の家はかなり暗いなかでの生活だったのではないでしょうか。台所部分は天窓があって外のように明るく、炊事には明るさが保たれるようです。

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診療をしていた通り側の「店の間」。この部屋だけ、墨色の壁です。診療のためでしょうか。ほの暗さと暗い色の壁で、壁の存在は少し薄れて、広がりを感じるかも。

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本居宣長53歳の時に、念願の勉強部屋が屋根裏に作られました。広さは4畳半で天井高さも2.1m(入室禁止なので天井高さは建具の高さから類推です)くらいの小さな部屋です。急な階段の窮屈なところを抜けて出入りします。年老いてからも行き来していたそうです。

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外から覗くことはできます。窓からは松坂城が望めたそうです。

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ちょっとレトロ設定のTVドラマにもよく出てくるこんな屋根裏部屋のある家を作ってみたいと思ってます。

本物の資料と活動の場が実感できることが、松阪の子供たちが、自分の身近でも全国に影響を与える人物がいたことを知り、将来の夢が広がることにとても役立っていると吉田館長はおっしゃっていました。

また旧邸が本来の市中にあるともっと意義深いが、火災などから守る上、難しく悩ましい問題だとも。

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