池原義郎先生を偲ぶ会
5月20日に逝去された早稲田大学名誉教授 池原義郎先生を偲ぶ会が大隈記念講堂で行われました。
先生と身近で接しさせていただいたのは、わずか3年間でしたが、自らの作品に対する思いの説明や、当時先生を訪ねられていた多くの著名な建築家との会話、国内外の著名な建物に対して感じることのお話、学生の作品に対する厳しい評価などを通し、建築に関わる上で必要な感性と理念の根幹が作られたように感じています。
会の始まる前に、比較的最近に収録されたインタビュー映像が流されました。「建築はただ機能的に作り上げるだけではダメで、人間性がそこに加わらなければいけない」とお話されていたのは、最新の技術や素材にとても興味を持ちながら、細部の作りに熟慮して詩的と評価される作品をつくられていた基本スタンスなのでしょう。また作風はずいぶん異なると思える先生の師、今井謙次先生の大切にされたいたところです。
この数年で先生と親しい交流のあった同世代の建築家、高橋テイ一さん、宮本忠長さん、阪田誠造さんが逝かれました。直接お話を伺う機会があった方々で端正、厳格に作り上げていく建築の凄さを教えていただきました。この後の若い人たちには、そんな機会がなく、違った建築の世界になっていくのでしょう。
住宅見学
横浜市たちばな台にできた住宅を見せていただきました。設計は井上洋介さんです。
鉄筋コンクリート造2階建て、延べ床137m2です。南西に開けた高台の縁に建つ立地です。1階に寝室、2階はLDKとテラスのみで広々した空間になっています。
擁壁一杯にテラスが張り出し、施工は大変ですが、気持ちは良いです。
コンクリートは型枠の板を隙間を開けて設置したことでできる出目地の表情です。素材表現に熱心な井上さんらしい壁面です。
人造大理石研ぎ出しの浴室もきれいです。目地がないのですっきり、且つ、目地汚れもありません。但し割れがでる可能性があるので、動きの少ないコンクリート造でないとやりにくい仕上げです。
片引きの窓ですっきり収まっています。
沖縄の建物
社員慰安旅行で沖縄に。沖縄の伝統的住宅の特徴を備えた中村家住宅(北中城村)。
昭和31年に琉球政府から、昭和47年に国の重要文化財に指定されています。この地域の庄屋を務める家ですが、本土の豪商・豪農の家に比べるとこじんまりした感じです。規模は小さいですが、造りはキチンしていますし、防風のための石垣、石貼りの庭は本土とは違って、費用の掛かっている要素です。
沖縄住戸の代表的な特徴のヒンプン。ヒンプンに向かって右が男子・客動線、左が台所に繫る女子の動線だそうです。
屋根は赤瓦、漆喰固めです。土を厚く載せたような屋根なので断熱性は高そうです。重さもかなりとなるため、軒先や縁側の柱間は1間となっています。本土の一般的な建物からすると柱が気になりそうですが、天井が低いこともあってあまり気にならないです。
垂木の間に面戸はなく、風が通りやすくなっています。漆喰で固められた屋根の母屋部分にも空気抜きが作られています。
石貼りの庭は、大雨の水処理のためでしょうか?ミニマムな感じの石の庭、ストイックな感じもありますが、周囲にある緑で殺風景な印象はありません。
井戸周りには植栽もあります。
部屋の外が塀に囲まれた感じは、インドネシアのバリなどにみられる住宅形式に似ています。風通し確保とプライバシー保護に有効です。
防風木であるフクギ。黄緑色・厚めで丸い葉型、密度感のある樹形は、ちょっとかわいい感じです。
名護市庁舎(1981年竣工。象設計集団)
象設計集団の代表作。見た目は昔風(ある意味、アート的な)建物ですが自然の風を取り込む設備計画、構造をがんばったりした当時の最先端建物といえます。
高い階高。ダブルグリットの詰まったスパンのランマ部分の穴が建物を貫く風洞。
室内の高い天井に通る風洞(コンクリートダクト)。写真で黒く見える四角い穴から風が入る。
15mほどのスパンのスロープ。受け梁はなく、手摺壁を梁とする片持ちスラブでできてます(他ではなかなか見られません)。
たぶん現場打ちのプレキャスト・コンクリートルーバー。
早稲田大学吉阪先生の弟子たちを中心とした設計チームですが、コルビジェ的な意匠・形態は見られず、地域性を特化反映するスタンスが一番の特徴です。
本土のほかの作品も、経年で緑が覆い、魅力的な環境を作っています。時間を経たものが新しいものに勝る好例です。
静岡の歴史的町並み その3
東海道の4つの峠難所の一つ由比宿、薩堆峠(さったとうげ)。
山が海に迫っているため土地が少なかったためか、国道1号線は海の中に通され、旧道は狭い道のままで、町並みも昔の形状がうかがえる。
山からの水の流れるところが行く筋も町中にあり小さな橋が何個も掛かっているの特質の要素です。
各家、急勾配の敷地となるため、家の表裏でレベルが異なることも、特別な空間のできる興味深いところ。
名主の館は、国の有形文化財指定となり、無料公開しています。豪商の家とは違い、こじんまりとした家です。小さいですがナマコ壁や大戸など、一般の家たは異なった造りということでした。
町家に多い天窓もついています。
家の背面、西側に山が迫っているので、天窓が採光には有効です。現在の家ではメンテナンスがしにくいということで避けられることが多いのですが、古い民家には、天窓があることが多いように感じます。瓦の間にガラスが入っていたり、雨仕舞には問題ありそうなところが多いのですが、それ以上の利点をかんじるのでしょう。大概、土間部分にあって、炊事などの明るさを確保しています。
上床の部分が暗く、土間は外ように明るくなって空間のメリハリもあります。
薩堆峠は由比宿の西側、さらに狭い急勾配の峠道です。一般車の通行は海の中に通る1号線となります。峠から富士山も見えて、昔のままの風景です。
薩堆峠からの眺め。正面に富士山、下に海の中の1号線が見える。富士山左下の森に穴の開いたように見えるところが旧道の道。
静岡の歴史的町並み その2
旧東海道、日本坂峠のふもとの里。平成26年に国の伝統的建造物群保存地区に指定されました。ここは宿場町ではなく、街道沿いの集落が指定されたもので、比較的稀なパターンだと思います。30件ほどの家屋が古い民家のまま残っています。
ここの特徴は、傾斜地のため石垣のうえに下見張の民家が立ち並んでいるところです。
曲がりくねった街道に沿い、土地の高低さもある立地で、長屋門的な街道沿いの建物と蔵、母家がつくる中庭空間が興味深いです。
宿場町ではないので、店機能をもった家はありません。現状、町並み観光地というよりはハイキングコースの入り口として人が来ており、個人でカフェをやっているところのほかには自販機が1台あるだけの素朴なところで心地よいです。
蔵・庭カフェ。民家の蔵と中庭をつかったカフェです。山の心地よい風を感じて、おいしいコーヒーがいただけます。携帯も圏外ですが、メニュー・食器・調度などセンス良くされています。
里のはずれからは海が望めます。
大井川の川越の遺跡となっています。川越の様子を示す博物館や渡しの札場などが見学できます。宿場が並ぶ道の広さから、かなりの人が集まっていた様子がうかがえます。
建物は資料として作られていて、住民はほとんどいないようです。
生活感がないので、映画のセットのようで、リアルさは薄いです。
蔀戸など昔の窓の作りがよくわかります。
渡し札場。水嵩によって渡してもらう料金が異なります。少ない水量でも2000円弱掛かるようでした。結構お金が動く場所です。
渡っていく大井川。川向うは金谷の宿です。金谷側には古い町並みはありません(むしろ大井川鉄道、蒸気機関車の駅で有名です)。
静岡の歴史的町並み
昨年行われた「みえ歴史的町並みネットワーク」の会で講演のあった静岡の歴史的町並みをみてきました。
森町 城下
秋葉街道の宿場町として栄えたところです。城下町なので町並みにも防御の工夫があります。街の中で街道は湾曲しており、道に沿う家々の輪郭がのこぎりの刃のようにギザギザになっていて敵を待ち伏せるのに都合のよい形態です。街の中央でクランクしているのも防御のためでしょう。
現在主要な道路は街の外を通り、家々が並ぶ旧道は一方通行となっており、町並み保存には適した条件です。
家々の配置は古くからの形態が守られているものの、古い建物は数軒で歴史的町並みとして感じるにはいまいちです。町並みの案内パンフレットを用意していたり、町並みの保存には高い意識があると思われます。
掛川市 日坂
東海道の宿場町。講演のときは案内がなかったので、意識していなかったですが、箱根・由比・日坂・鈴鹿が東海道の4峠難所で宿場町でも著名なところです。
谷筋なので国道1号線はバイパスとなって街の上に通っていて少し悲しい感じがあります。街の中で古い建物は市で管理された数件です。ここも町並み感は薄いですが、町の人たちの志は高いです。ほぼすべての家に、昔の屋号の木札がつけられています。空き地も新しく建てた普通の家にもです。住む人たちも、積極的に訪れる人に話しかけているようで、数人の方から町並み・東海道についてお話を伺いました。
夜泣き石で有名というのも伺って気が付きました。街にあった北斎の絵にも夜泣き石が描かれていたのも見過ごしていたのですが。(真ん中の白っぽい丸い石です)
NHKでもやっていた夜泣き石は国道1号線を通す際、移設されて今も残っています。
これが夜泣き石。
どちらの町並みも古くからある建物はわずかです。県内の伊勢街道や東海道のほうが町並みが残っている感が高いところが多いように思いますが、町の人の意識は負けているように思えます。